音声入力は、黙っているときだけ仕事をする

Gusha「音声入力って、俺が黙った瞬間に一番いい仕事をするんだよ」

Kenja「どういう意味だよ。しゃべった言葉を文字にする機能だろ」

Gusha「そうなんだけど、スマホに向かって話そうとすると、急に言葉がなくなるんだよ。さっきまで頭の中では長編小説だったのに」

Kenja「マイクを向けられたら緊張するのか」

Gusha「緊張じゃない。脳内の小説家が、契約書を確認し始めるんだよ」

Kenja「誰と契約してるんだ」

Gusha「音声入力と。俺がしゃべったことを勝手に文字にするんだから、秘密保持契約くらい必要だろ」

Kenja「スマホにそんな契約を求めるな」

Gusha「それで、今日は買い物メモを作ろうと思ったんだ。卵、牛乳、納豆って言うだけだから簡単だろ?」

Kenja「簡単だな。実際にやってみればいい」

Gusha「卵、牛乳、納豆……。あれ、次は何を買うんだっけ?」

Kenja「もう忘れたのか」

Gusha「違う。音声入力が待ってるから、俺も何かしゃべらなきゃって思って。沈黙が気まずいんだよ」

Kenja「相手は機械だぞ。気まずさを感じているのはお前だけだ」

Gusha「でも画面にマイクのマークが出てると、聞いてますよって顔に見えるんだよ。面接官みたいに」

A nervous blonde woman tries to speak into her smartphone while a silver-haired man watches calmly beside her.

Kenja「ただのマイクのマークだ」

Gusha「じゃあ、面接だと思ってやる。私は卵と牛乳を購入したいと考えております」

Kenja「急に就職活動を始めるな。買い物メモに志望動機はいらない」

Gusha「しかも変換結果が、私は卵と牛乳を購入したいと考えております、って出たら嫌だな。スーパーで見返したとき、何をそんなに改まってるんだってなる」

Kenja「普通に卵、牛乳と入力すれば済む話だろ」

Gusha「それじゃ音声入力の立場がないじゃん。せっかくマイクを使ってるんだから、マイクにも働いた実感を与えたい」

Kenja「道具の労働意欲まで考えなくていい」

Gusha「あと、音声入力って、間違えたときの訂正が難しいんだよ。卵って言ったのに、別の言葉になったらどうする?」

Kenja「そこだけ削除して、もう一度入力すればいい」

Gusha「いや、俺は一度しゃべったことに責任を持つタイプだから」

Kenja「変なところで責任感を発揮するな」

Gusha「だから、卵じゃなくて別の言葉になっても、そのまま買うことにする」

Kenja「買い物の内容を音声認識の誤変換に決めさせるな」

Gusha「卵って言ったのに、『たまご』が『ただの』になったらどうする?」

Kenja「『たまご』と『ただの』は音が少し違うだろ。そんな変換になるとは限らないぞ」

Gusha「じゃあ、『牛乳』が『急流』になったら?」

Kenja「『ぎゅうにゅう』と『きゅうりゅう』か。音は似ているが、買い物メモに急流があったら、どこへ買いに行くんだ」

Gusha「川の専門店」

Kenja「そんな店を探すな」

Gusha「でも、もし『納豆』が『納得』になったら、もう買い物は終わりだよ。俺は納得したんだから」

Kenja「納豆だけは最後まで買え」

Gusha「それに、音声入力って、しゃべりながら考えるのにも向いてない気がする」

Kenja「考えがまとまっていないと、文章もまとまりにくいからな」

Gusha「俺なんか、話してる途中で別のことを思いつくんだよ。『卵を買う。それから牛乳を買って、そういえば昨日のテレビで……』って」

Kenja「買い物メモに昨日のテレビの感想まで入れるな」

Gusha「でも、しゃべることで思い出すこともあるじゃん。音声入力を使うと、買い物メモが俺の人生の記録になっていくんだよ」

Kenja「記録の範囲が広すぎる。後で見返しても、何を買うつもりだったのか分からなくなるぞ」

Gusha「じゃあ、思いついたことは全部別のメモにする。買い物メモ、思いつきメモ、昨日のテレビメモ」

Kenja「メモを作るためのメモが必要になりそうだな」

Gusha「そのメモも音声入力で作ればいい。『メモを作るためのメモを作る』って」

Kenja「最初のメモに書いておけば一回で済むだろ」

Gusha「それじゃあ、音声入力が寂しがるじゃん」

Kenja「寂しがらない」

Gusha「分からないよ。いつも俺がしゃべり終わると、文字が出てくるまで少し待つだろ。あれは、もっと聞きたいってことかもしれない」

Kenja「処理に時間がかかっているだけだ」

Gusha「そうか。じゃあ、処理が終わるまで黙って待つか」

Kenja「それでいい」

Gusha「……」

Kenja「何も入力されてないぞ」

Gusha「いや、今、いい文章を思いついたんだよ。黙ってる間に」

Kenja「だったらしゃべれよ」

Gusha「忘れた」

Kenja「音声入力のせいじゃないだろ」

Gusha「でもさ、俺が黙ってる間に、スマホが俺の考えを文字にしてくれたら最高なのにな」

Kenja「それは音声入力じゃなくて、もう別の技術だな」

Gusha「じゃあ、いつかできるまで待つよ。買い物メモも、頭の中の小説も、全部スマホに任せる」

Kenja「まずは卵と牛乳を覚えておけ」

Gusha「分かった。卵、牛乳、納豆……あと、音声入力にお礼を言う」

Kenja「それは買い物メモにいらない」

Gusha「でも、今日もよく働いてくれたからさ。……あれ、今の『お礼』って文字にしてくれたかな」

Kenja「画面を見れば分かるだろ」

Gusha「見たら、また何か思いつきそうなんだよな」

Kenja「それはもう、スマホを置いてから考えろ」

Gusha「じゃあ、置く前に一言だけ。スマホ、いつもありがとう」

Kenja「今度は何を入力したんだ」

Gusha「分からない。俺、スマホに向かって黙ってたから」

Kenja「それじゃ何も入力されないだろ」

Gusha「でも、さっきから俺の頭の中では、ずっと名文が生まれてるんだよ」

Kenja「スマホはお前の頭の中まで聞き取れない」

Gusha「そっか。じゃあ俺、スマホの前で黙ってる仕事に就こうかな」

Kenja「何を生み出す仕事なんだ」

Gusha「沈黙」

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