レシートの「ありがとうございました」は誰に言っているのか
セルフレジでも有人レジでも、最後にもらうレシート。あの紙には「ありがとうございました」と書いてある。でも、あれは誰が言っているんだろう。レシートの立場を真剣に考え始めた。
セルフレジでも有人レジでも、最後にもらうレシート。あの紙には「ありがとうございました」と書いてある。でも、あれは誰が言っているんだろう。レシートの立場を真剣に考え始めた。
セルフレジは便利なのに、なぜか毎回こちらの人間性を試してくる気がする。バーコードを探し、袋詰めに焦り、謎の警告音に追われる時間。その不思議な緊張感。
レシピを保存するほど料理は上達するのに、保存したレシピはほとんど作られない。料理を始める前に満足してしまう不思議と、それでも紙のレシピや一冊の料理本が残り続ける理由。
検索候補は便利なのに、ときどき自分より先に答えを決めてしまう気がする。速さを手に入れた代わりに、質問を育てる時間は少し減ったのかもしれない。たまには最後まで打ってみると、違う景色が見えてくる。
「あとで読む」「あとで見る」「あとで調べる」。便利なはずの保存機能は、いつの間にか巨大な倉庫になる。人はなぜ『あとで』を増やし続けるのか。
通知を消したはずなのに、なぜか「あとで読むつもりだった」と思い続けてしまう。情報よりも気持ちのほうが先に消えているのかもしれない。
「あとで読む」に保存した記事は、本当に読むためなのか。それとも未来の自分への期待なのか。増え続ける保存リスト。
財布のポイントカードは捨てたのに、スマホの会員アプリは増える一方。整理したはずなのに残り続ける理由、不思議な愛着。
サブスクを整理したはずなのに、また新しいサービスが気になってしまう。便利さより“変われそうな自分”に月額を払っているのかもしれない。
電子書籍は便利なのに、なぜか紙の本も手放せない。読んだ記憶、生活の跡、焼けたページの空気感。本棚に残る“妙な愛着”。