急須のフタは、なぜそこまで揺るがないのか
Gusha「急須って、フタだけ先に帰りたがってるよな」
Kenja「何を言ってるんだ。フタは帰ろうとしてない」
Gusha「だって注ぐとき、ずっと押さえてるじゃん。『俺はまだここにいる』って主張してるみたいじゃん」
Kenja「それは外れないように押さえてるだけだろ」
Gusha「でも、ちょっと手を離したら落ちるんだろ? じゃあ本体との関係、そんなに強くないじゃん」
Kenja「急須のフタなんだから、そもそも固定されてる部品じゃない」
Gusha「え、じゃあ毎回乗っかってるだけ?」
Kenja「まあ、そういう言い方もできる」
Gusha「急に他人行儀だな」
Kenja「急須に人間関係を持ち込むな」
Gusha「しかもフタに穴あるじゃん。あれ、絶対のぞき穴だろ」
Kenja「違う。空気を通すための穴だ」
Gusha「何のために?」
Kenja「注ぐときに空気が入ることで、お茶が流れやすくなる」
Gusha「じゃあ急須の中、息してるの?」
Kenja「そういう意味じゃない」
Gusha「でも空気が入って、お茶が出てくるんだろ。かなり呼吸に近いじゃん」
Kenja「仕組みとしては液体の流れを安定させてるだけ」
Gusha「じゃあ俺たちが急須を使うたびに、空気を一回通してから飲んでるわけか」
Kenja「言い方が妙に生々しいな」
Gusha「日本茶って、もっと静かなものだと思ってた」
Kenja「急須を相手にそこまで考える人も珍しいけどな」
Gusha「あと俺、急須でお茶を注ぐとき、最後の一滴がめちゃくちゃ気になる」
Kenja「それは分かる。最後まで注ぎ切る人は多い」
Gusha「違う。最後の一滴だけ、妙に偉そうなんだよ」
Kenja「一滴に偉そうも何もないだろ」
Gusha「もう全部出たと思ったところで、傾きを変えるとポタッて出てくるじゃん。『まだ俺がいる』って」
Kenja「さっきから何でも意思を持たせるな」
Gusha「しかも一滴だけ色が濃く見えるときあるじゃん」
Kenja「それは光の当たり方とか、茶葉の成分が関係してるんだろ」
Gusha「じゃあ最後の一滴、実は濃縮されたベテラン?」
Kenja「ベテランではない」
Gusha「急須の中で一番長く残ってたんだぞ」
Kenja「時間で熟練度は上がらない」
Gusha「じゃあ、最後の一滴を残したまま湯のみを置いたら?」
Kenja「別にいいだろ」
Gusha「俺は気になる。なんか、急須が『まだ終わってませんけど』って顔してる気がする」
Kenja「急須に顔はない」
Gusha「でも湯のみを並べて、順番に注いで、最後に急須を傾けて、ちょっと待って……」
Kenja「ずいぶん丁寧だな」
Gusha「そこで出た最後の一滴を、最初の湯のみに入れる」
Kenja「なんで最初の湯のみに戻すんだよ」
Gusha「最初に注いだ責任があるから」
Kenja「お茶に責任を負わせるな」
Gusha「だって最初の湯のみだけ、最後の一滴を知らないまま終わるじゃん」
Kenja「別に知らなくていいだろ」
Gusha「知らないまま飲み終わるの、ちょっとかわいそうじゃない?」
Kenja「湯のみの気持ちを考えるな」

Kenja「そもそも、お茶を注ぐ順番にそんな物語はない」
Gusha「でも、湯のみって並べるとちょっと偉く見えるよな」
Kenja「ただの器だ」
Gusha「急須から出てきたお茶を受け止める係だろ?」
Kenja「まあ、そうだな」
Gusha「じゃあ急須は、お茶を送り出す係」
Kenja「そうなるな」
Gusha「茶葉は?」
Kenja「お茶を作る側」
Gusha「俺たちは?」
Kenja「飲む側」
Gusha「全員、役割分担ができてるじゃん」
Kenja「急に組織論みたいになったな」
Gusha「でも一番働いてるの、急須じゃない?」
Kenja「そうか?」
Gusha「茶葉を受け止めて、お湯を受け止めて、湯のみに注いで、最後は傾けられて、フタまで押さえられる」
Kenja「最後だけ人間に支配されてるな」
Gusha「なのに洗われるときは、一番早く水をかけられる」
Kenja「道具だからな」
Gusha「そこだけ現実的だな」
Kenja「道具に待遇改善を求めるな」
Gusha「じゃあ、急須って結構かわいそうじゃない?」
Kenja「いや、毎日使われるなら、それはそれで道具として幸せなんじゃないか」
Gusha「……今、急須に感情を持たせた?」
Kenja「お前がずっと持たせてたんだろ」
Gusha「じゃあ今日のお茶、ちょっと丁寧に注ぐか」
Kenja「フタを落とさない程度にな」
Gusha「最後の一滴も?」
Kenja「それはちゃんと注げ」
Gusha「……急須、聞いてた?」
Kenja「だから急須に聞くな」
Gusha「でも、さっきよりフタがしっかりしてる気がする」
Kenja「気のせいだ」
Gusha「じゃあ、もう一杯だけいけるな」
Kenja「お前が飲みたいだけだろ」
Gusha「それもある」
Kenja「……じゃあ、湯のみ持ってこい」
Gusha「ほら。急須、もう一仕事だって」
Kenja「聞いてないって」