畳のへり、踏んじゃいけない場所が近すぎる
畳のへりは、部屋の真ん中を堂々と横切っているのに、なぜか踏まないように気を使う。座る場所を決めるだけだったはずが、へりの存在を意識した瞬間、畳の上を歩くことそのものが妙に難しくなっていく。
畳のへりは、部屋の真ん中を堂々と横切っているのに、なぜか踏まないように気を使う。座る場所を決めるだけだったはずが、へりの存在を意識した瞬間、畳の上を歩くことそのものが妙に難しくなっていく。
急須のフタを押さえながらお茶を注ぐ姿を見て、なぜそこまで慎重になるのかと疑問を持つ。小さな穴の意味から始まった話は、湯のみへの注ぎ方、最後の一滴への執着、そして急須そのものの立場へと妙な方向に広がっていく。
Gusha「納豆のたれって、最後の一滴まで出したら負けだと思う」 Kenja「何に負けるんだよ」 Gusha「…
使い切ったはずなのに、なぜかもう一滴だけ出そうな気がする。食卓に置かれた小さな醤油差しをめぐって、残量の見極めと「最後の一滴」への妙な執着が始まる。しかも、傾け方ひとつで話は思わぬ方向へ進んでいく。
神社で引いたおみくじに書かれた「末吉」をめぐって、運の良し悪しよりも、その順番そのものが気になり始める。吉の種類は誰が並べたのか、なぜ「小吉」は「中吉」より下なのか。気にしなくていいはずの順番が、だんだん妙に気になってくる。
使い終わったトイレットペーパーの端が三角に折られていると、なぜか「誰かが整えてくれた」と感じてしまう。けれど、それは本当に親切なのか、それとも次に使う人への妙なメッセージなのか。三角形ひとつをきっかけに、トイレットペーパーの端にまで人間関係が見えてきて……
店に入ると、料理より先に出てくる小さなおしぼり。手を拭くためのものなのに、開く瞬間や使う場所、使い終わった置き方まで、なぜか人それぞれの作法がある。そもそも、あのおしぼりは本当に「手だけ」を拭くために存在しているのか。いつもの食事の前に置かれた一枚から、妙な疑問が始まっていく。
寿司を食べに行くと、注文した覚えのないガリがそこにいる。しかも、好きなだけ取っていい顔をしている。食べ物なのに主役でも脇役でもなく、寿司と寿司のあいだにだけ現れる存在。いつの間にか当たり前になっていた、あの薄切りの生姜を眺めていると、寿司屋の時間そのものが少し不思議に見えてくる。
「箸置きってさ、箸のためのベッドだろ」――そんなひと言から、猫や魚の形をした箸置きに箸を預けることの不思議さが広がっていく。なくても食事はできるのに、なぜか食卓にいる小さな道具。箸置きを眺めていると、いつもの食事が少し違って見えてくるかもしれない。
お湯を注いで待つだけ。それで十分うまい。複雑にすれば良くなるわけじゃないと気づいたのは、案外シンプルな場所だった。