試着室では、急に自分がわからなくなる
Kenja「試着室って、不思議な場所だよな」
Gusha「昨日、服屋で大事件が起きた」
Kenja「万引きじゃないだろうな」
Gusha「違うよ。俺が俺じゃなくなった」
Kenja「怖い入り方するな」
Gusha「棚で見たときは最高だったの。『これ絶対かわいい!』って」
Kenja「よくある話だ」
Gusha「それで試着室に入ったら、知らない人が立ってた」
Kenja「鏡だよ」
Gusha「知ってる。でも『誰!?』ってなった」
Kenja「試着室あるあるだな」
Gusha「服はかわいいの。でも俺が追いついてない」
Kenja「服の性能は変わってないからな」
Gusha「鏡が厳しい」
Kenja「鏡は仕事してるだけだ」
Gusha「家の鏡はもっと優しい」
Kenja「たぶん見慣れてるだけ」
Gusha「試着室の鏡ってさ、『本日の現実はこちらです』って感じ」
Kenja「照明もあるし、全身が見えるしな」
Gusha「しかも横向けるじゃん」
Kenja「横も人間だからな」
Gusha「横って、いつから存在してたの?」
Kenja「生まれたときからだ」
Gusha「正面しか見てなかった」
Kenja「都合よく生きてたな」
Gusha「だから新しい服より、新しい俺が出てきちゃう」
Kenja「順番がおかしい」
Gusha「『これ似合わないな』じゃなくて、『これを着てる人は誰?』になる」
Kenja「自己紹介から始めるな」

Gusha「でもさ、五分くらい見てると慣れてくるんだよ」
Kenja「人間の適応力だな」
Gusha「最初は『変!』だったのが、『あれ?』になって、『まあ…』になって、『いけるか?』になる」
Kenja「評価がゆっくり上がる」
Gusha「最後は『この服しかない』になる」
Kenja「感情の株価が激しい」
Gusha「だから試着時間を三十分にしてほしい」
Kenja「店員さん困るぞ」
Gusha「『まだ自分に慣れてません!』って札を出す」
Kenja「回転率が下がる」
Gusha「試着室って、服を試してるんじゃない気がする」
Kenja「ほう」
Gusha「未来の自分を試してる」
Kenja「それは少しわかる」
Gusha「今まで着なかった色とか、形とか」
Kenja「例えばネイビーばかり着てた人が急に赤を着るとか」
Gusha「そうそう。服より『こんな私いる?』って探してる」
Kenja「だから違和感が出るのか」
Gusha「初対面だから」
Kenja「服とじゃなく、自分と初対面」
Gusha「毎回、名刺交換したい」
Kenja「『はじめまして。本日から黄色担当です』みたいな?」
Gusha「そう!」
Kenja「担当制なのか」
Gusha「ある日突然、ベレー帽担当になるかもしれない」
Kenja「部署異動みたいに言うな」
Gusha「でも不思議なの。買って家に帰ると普通になる」
Kenja「家の鏡では見慣れるからだろう」
Gusha「試着室で見た人、どこ行ったんだろう」
Kenja「ちゃんと君の中に吸収されたんだよ」
Gusha「毎回一人ずつ増えてる?」
Kenja「人格を服で管理するな」
Gusha「クローゼット開けたら、『白シャツの私』『パーカーの私』『ちょっと背伸びした私』が並んでそう」
Kenja「夜中に会議始まりそうだな」
Gusha「『今日は誰が出勤する?』って」
Kenja「絶対まとまらない」
Gusha「一番派手な人が議長やる」
Kenja「服だけで民主主義を始めるな」
Gusha「だから試着室って、ちょっとだけ未来をのぞく部屋なんだね」
Kenja「服を選んでるつもりで、自分の見え方を少しずつ更新してるのかもしれない」
Gusha「そう考えると、『誰!?』って思う日も悪くないね」
Kenja「その『誰?』が、しばらくしたら普通になってることもあるしな」
Gusha「じゃあ今日も、どこかの試着室で新しい誰かが生まれてるのか」
Kenja「案外、その人はまだ自分でも気づいてないのかもしれないな」