冷蔵庫を開けた理由は、途中で消える
Gusha「俺さ、冷蔵庫に嫌われてる」
Kenja「急に人間関係みたいなことを言うな」
Gusha「開けた瞬間に『何しに来たんだっけ?』ってなるだろ。あれ絶対、冷蔵庫が記憶を没収してる」
Kenja「没収してどうするんだ」
Gusha「知らん。でも牛乳だけは覚えてる」
Kenja「牛乳は目立つからだ。視界に入る」
Gusha「いや、牛乳が『俺を見ろ』って圧を出してる」
Kenja「それは広告みたいな能力だな」
Gusha「マヨネーズも強い」
Kenja「黄色いしな」
Gusha「でも、本当に取りたかったものは思い出せない」
Kenja「目的記憶が飛ぶ現象だな。心理学でも珍しくない。部屋を移動すると記憶の切り替えが起きやすいって話もある」
Gusha「つまりキッチンが裏切ってる」
Kenja「そこまで広げるな」
Gusha「玄関でもあるぞ」
Kenja「何を?」
Gusha「靴を履いたら『俺どこ行くんだっけ?』ってなる」
Kenja「それは予定まで忘れてるじゃないか」
Gusha「でも外に出ると急に思い出す」
Kenja「環境がきっかけになるんだろうな」
Gusha「つまり道路が優秀」
Kenja「全部を人格化する癖やめろ」
Gusha「冷蔵庫も道路も頑張ってる」
Kenja「道路は確かに頑張ってるけど」
Gusha「俺、一回さ、冷蔵庫を開けて五秒くらい固まって、そのまま閉めたんだ」
Kenja「あるあるだな」
Gusha「閉めた瞬間に思い出した」
Kenja「よくある」
Gusha「だからまた開けた」
Kenja「うん」
Gusha「また忘れた」
Kenja「え?」
Gusha「閉めた」
Kenja「うん?」
Gusha「思い出した」
Kenja「待て待て」
Gusha「開けた」
Kenja「永久機関になるな」
Gusha「三回目くらいで冷蔵庫が『まだ来るの?』って顔してた」
Kenja「冷蔵庫に表情はない」
Gusha「製氷皿だけ笑ってた」
Kenja「怖い話になるからやめろ」
Gusha「結局、お茶だけ飲んだ」
Kenja「目的を失った人間の着地点としては自然だ」
Gusha「お茶って優しいよな。『思い出せなくても飲め』って言ってくれる」
Kenja「言ってない」
Gusha「冷蔵庫ってさ、開けると全部見えるじゃん」
Kenja「まあそうだな」
Gusha「だから脳が急に忙しくなるんじゃない?」
Kenja「それは少しありそうだ。牛乳、卵、豆腐、昨日のカレー、全部一気に目に入る」
Gusha「昨日のカレーが話しかけてくる」
Kenja「だから人格化するな」
Gusha「『俺、今日までだぞ』って」
Kenja「賞味期限のプレッシャーはある」
Gusha「ヨーグルトも横でうなずいてる」
Kenja「冷蔵庫の中で会議するな」
Gusha「だから俺の目的が議題から消える」
Kenja「司会がいない会議だな」
Gusha「議長は白菜」
Kenja「なんで白菜なんだ」
Gusha「一番でかいから」
Kenja「サイズで決めるな」

Gusha「でもさ、忘れるって悪いことばっかじゃないよな」
Kenja「というと?」
Gusha「冷蔵庫を開けた瞬間にアイスを見つけるじゃん」
Kenja「ああ」
Gusha「『そうだ、アイスあった!』って幸せになる」
Kenja「予定外の発見だ」
Gusha「忘れたから出会える喜び」
Kenja「ずいぶん前向きだな」
Gusha「もし全部覚えてたら、『アイスがあった!』も新鮮じゃない」
Kenja「それは確かに」
Gusha「人間ってちょっと忘れるようにできてるんじゃない?」
Kenja「全部を覚えていたら、情報が多すぎて疲れるかもしれない」
Gusha「つまり俺は高性能」
Kenja「そこまでは言ってない」
Gusha「必要じゃない情報から順番に消してる」
Kenja「でも冷蔵庫に行った目的は必要だっただろ?」
Gusha「いや、それよりアイスの方が必要だった」
Kenja「欲望が勝っただけだ」
Gusha「冷蔵庫って、食べ物を冷やす場所じゃなくて、予定を並べる場所なのかもしれんな」
Kenja「予定?」
Gusha「『牛乳飲む』『豆腐使う』『プリンは誰にも見つからないように奥へ』とか」
Kenja「最後だけ計画犯罪みたいになってる」
Gusha「だから開けるたびに予定が渋滞する」
Kenja「それで一番最初の目的が見えなくなるのか」
Gusha「うん。でも閉めたら静かになる」
Kenja「それで思い出す」
Gusha「冷蔵庫って、たまに『考えてからまた来い』って言ってる気がするんだよな」
Kenja「その声が聞こえ始めたら、一回ちゃんと寝た方がいいかもしれない」
Gusha「……その前に、俺は何を取りに来たんだっけ?」
Kenja「とりあえず、もう一回だけ開けてみるか」