畳のへり、踏んじゃいけない場所が近すぎる
畳のへりは、部屋の真ん中を堂々と横切っているのに、なぜか踏まないように気を使う。座る場所を決めるだけだったはずが、へりの存在を意識した瞬間、畳の上を歩くことそのものが妙に難しくなっていく。
畳のへりは、部屋の真ん中を堂々と横切っているのに、なぜか踏まないように気を使う。座る場所を決めるだけだったはずが、へりの存在を意識した瞬間、畳の上を歩くことそのものが妙に難しくなっていく。
「箸置きってさ、箸のためのベッドだろ」――そんなひと言から、猫や魚の形をした箸置きに箸を預けることの不思議さが広がっていく。なくても食事はできるのに、なぜか食卓にいる小さな道具。箸置きを眺めていると、いつもの食事が少し違って見えてくるかもしれない。
ティッシュの最後の一枚だけ、なぜか妙に取りにくい。そんな誰もが知っている小さな違和感から、「最後」の正体について。
冷蔵庫の前まで来たのに、何を取りに来たのか思い出せない。数秒の空白。「冷蔵庫の記憶防犯システム」。忘れることは失敗なのか、それとも生活に必要な仕組みなのか。
飲み物は最後まで同じ味のはずなのに、なぜか最初の一口だけは特別に感じる。その数秒は味だけではなく、自分の状態や一日の始まりを受け取っている時間なのかもしれない。
風鈴は温度を下げるわけでも、何かを運ぶわけでもない。それでも毎年聞きたくなるのはなぜなのか。役に立たないようで残り続ける音。
使うか分からないのに、なぜか捨てられない紙袋。実用品なのか思い出なのか曖昧な存在。
おにぎりを包んで、髪を巻いて、気づけば枕にも敷いていた。便利というより、“静かに生活になじむ感じ”が妙に心地いい。
一枚だけ試すつもりだった手ぬぐいが、洗い替えや柄違いを理由に少しずつ増えていく。四枚になったところで、使い分ければいいだけのはずだった。ところが、枚数が増えたことで、今度はどれをいつ使うのかが気になり始める。せっかく増えた手ぬぐいを無駄なく活躍させようと考えるほど、暮らしの中に妙なルールが増えていく。
手ぬぐいを使い終わったあと、なぜか妙にきれいに畳みたくなる。広げて使うものなのに、最後は小さく四角く戻したくなるのはなぜなのか。ところが、きっちり畳もうとした瞬間、ただの布だったはずの手ぬぐいが、こちらの几帳面さまで試してくる。