畳のへり、踏んじゃいけない場所が近すぎる
Gusha「畳のへりって、あんなに踏みやすい場所にあるのに踏んじゃいけないって、罠だろ」
Kenja「罠じゃない。畳と畳の境目についてる、あの細い布みたいな部分のことだろ」
Gusha「そう、それ。畳の真ん中じゃなくて、端っこに線みたいについてるやつ」
Kenja「だから『へり』っていうんだよ」
Gusha「でも境目って言うなら、むしろ一番歩く場所じゃん」
Kenja「何でだよ」
Gusha「部屋の端っこじゃないんだぞ。畳と畳の間を、堂々と横切ってるじゃん」
Kenja「畳を並べると、そういう位置になるだけだ」
Gusha「つまり、畳が協力して俺を踏ませようとしてる」
Kenja「どうしてそうなる」
Gusha「俺、和室に入った瞬間から足元を信用できなくなるんだよ」
Kenja「普通に歩けばいいだろ」
Gusha「普通に歩いたらへりがあるんだよ」
Kenja「だから避ければいい」
Gusha「避けたら今度は畳の真ん中を斜めに歩くことになるだろ」
Kenja「別にいいだろ」
Gusha「なんか変なんだよ。部屋に入ってからずっと、足だけが迷路ゲームやってるみたいになる」
Kenja「お前が意識しすぎなんだよ」
Gusha「しかも和室って、へりだけじゃなくて畳の向きまであるだろ」
Kenja「まあ、畳の敷き方には決まりがある場合もあるな」
Gusha「だから余計に怖いんだよ。床なのに、床として自由に歩けない」
Kenja「床だぞ」
Gusha「洋室の床なんて、どこ踏んでも床じゃん」
Kenja「まあな」
Gusha「フローリングに『そこだけは踏まないでください』って線、ないだろ」
Kenja「普通はないな」
Gusha「和室だけ急に床にルールが増えるんだよ」
Kenja「畳には畳の作法があるってことだろ」
Gusha「じゃあさ、畳のへりを踏んだら何が起きるんだ?」
Kenja「何かが起きるわけじゃない」
Gusha「じゃあ怖がらせるだけ怖がらせて、何も起きないのか」
Kenja「そういう話じゃない」
Gusha「踏んだ瞬間、畳から『今の見たぞ』って言われるくらいの覚悟で避けてた」
Kenja「畳はしゃべらない」
Gusha「でも、和室って静かだから余計に聞こえそうじゃん」
Kenja「何が?」
Gusha「踏んだ音」
Kenja「畳のへりを踏んだくらいで、そんな音はしないだろ」
Gusha「心の中では鳴るんだよ。『バン! 作法違反!』って」
Kenja「自分で効果音つけてるだけじゃないか」
Gusha「しかも人の家だと、もっと怖い」
Kenja「なんで?」
Gusha「自分の家なら『まあ俺の畳だし』で済むけど、人の家でへり踏んだら、急に歴史を踏んだ感じになる」
Kenja「畳一枚にそこまで背負わせるな」
Gusha「旅館とか特に無理だぞ」
Kenja「何が?」
Gusha「部屋に入った瞬間、まず荷物を置く場所より先に、足の置き場所を考える」
Kenja「そんなに慎重になるか?」
Gusha「なる。右にへり、左にへり、正面にもへり。俺、畳の上で急に囲まれてる」
Kenja「四角い部屋なんだから当然だろ」
Gusha「しかも、避けながら歩いてると妙に大股になる」
Kenja「それはお前の問題だな」
Gusha「一歩目でへりを避けて、二歩目で別のへりを避けて、三歩目で勢いがついて」
Kenja「ついて?」
Gusha「座布団に着地する」
Kenja「何でそうなるんだよ」
Gusha「畳の上を歩いてるだけなのに、最後だけ柔らかい場所に吸い込まれるんだよ」
Kenja「それは座布団を避けろ」
Gusha「和室、避けるもの多すぎない?」
Kenja「へりと座布団しかないだろ」
Gusha「それに茶碗とか急須とか置いてあったらどうする」
Kenja「それは踏んだらダメだろ」
Gusha「ほら、またルール増えた」
Kenja「それは和室だからじゃなくて、物だからだよ」
Gusha「じゃあ、畳は物なのに踏んでいい」
Kenja「床として使ってるからな」
Gusha「へりは?」
Kenja「畳の一部だよ」
Gusha「一部なのに踏むな」
Kenja「そういう文化的な作法なんだよ」
Gusha「じゃあ、へりだけ畳の中で立場が特殊なんだな」
Kenja「まあ、そういう見方もできる」
Gusha「本体は踏まれて、端っこだけ守られる」
Kenja「そう考えると変だな」
Gusha「畳のへり、実は一番待遇いいじゃん」
Kenja「いや、保護されてるだけだろ」
Gusha「じゃあ俺も今日からへりになる」
Kenja「何でだよ」
Gusha「踏まれない人生を送りたい」
Kenja「お前は畳じゃないから無理だ」

Kenja「そもそも、昔の人がへりを踏まなかったのには、畳を傷めないとか、身分を示す場所を踏まないとか、いろんな理由があるんだよ」
Gusha「なるほどな」
Kenja「だから、単に『踏んだら怒られる』って話じゃない」
Gusha「じゃあ俺、今までちょっと誤解してた」
Kenja「何を?」
Gusha「へりって、踏まれたら傷つくんじゃなくて、踏まれないことで役割を守ってたんだな」
Kenja「まあ、そういう考え方はできるな」
Gusha「なんか急にへりが偉く見えてきた」
Kenja「単純だな」
Gusha「今まで『なんでそこだけ踏んじゃダメなんだよ』って思ってたけど」
Kenja「うん」
Gusha「これからは『そこにいるだけで歩き方を変えさせるとは、なかなかやるな』って思う」
Kenja「敬意の向け方がおかしい」
Gusha「でも実際、へりを意識すると、畳の部屋って急に歩き方が丁寧になるんだよ」
Kenja「確かにな」
Gusha「普段ならズカズカ歩く俺が、和室に入った瞬間だけ、足元を確認しながら静かになる」
Kenja「それは悪くない変化じゃないか」
Gusha「じゃあ畳のへりって、床に付いてる小さい先生みたいなもんか」
Kenja「先生ではない」
Gusha「何も言わないのに、こっちが勝手に気をつける」
Kenja「そういう意味では、妙な存在だな」
Gusha「……なあ」
Kenja「何だよ」
Gusha「今、俺たちどこ歩いてる?」
Kenja「和室だろ」
Gusha「へり、近くにある?」
Kenja「あるけど」
Gusha「じゃあ、ちょっと待って」
Kenja「何で?」
Gusha「今から、へりを一切踏まずに向こうまで行く」
Kenja「別に競技じゃないんだから、普通に歩け」
Gusha「いや、今日は本気でやる」
Kenja「何をそんなに気にしてるんだよ」
Gusha「右にへり、左にもへり。これ、思ったより難しいぞ」
Kenja「だから普通に避ければいいだろ」
Gusha「待て。ここを踏まないなら、こっちを通るしかない」
Kenja「お前、何でそんなに大回りしてるんだよ」
Gusha「へりを避けてる」
Kenja「それは分かるけど、部屋の隅まで行ってるぞ」
Gusha「……ここなら絶対に踏まない」
Kenja「お前、へりを避けるために、部屋の隅まで来てるぞ」
Gusha「安全第一だ」
Kenja「何をそんなに怖がってるんだよ」
Gusha「いや、ここまで来ると逆に楽しくなってきた」
Kenja「何が?」
Gusha「今から、へりを一切踏まずに向こうまで行く」
Kenja「別に競技じゃないんだから、普通に歩け」
Gusha「いや、今日は本気でやる」
Kenja「何をそんなに気にしてるんだよ」
Gusha「右にへり、左にもへり。これ、思ったより難しいぞ」
Kenja「だから普通に避ければいいだろ」
Gusha「待て。ここを踏まないなら、こっちを通るしかない」
Kenja「お前、何でまた大回りしてるんだよ」
Gusha「へりを避けてる」
Kenja「それは分かるけど、どんどん変な方向に行ってるぞ」
Gusha「……」
Kenja「どうした?」
Gusha「今、へりを踏まないように考えてたら、歩くの忘れた」
Kenja「そこまで難しい話じゃないだろ」
Gusha「じゃあ、今日はもう座ってる」
Kenja「何で?」
Gusha「座ってれば、へりを踏まないから」
Kenja「お前、作法を守るために行動を全部やめるなよ」