境目だけが覚えている
Gusha「商店街の入口ってさ、だいたい記憶の待合室だよな」
Kenja「急に何を言い出したんだ」
Gusha「駅を出た瞬間じゃないんだよ。店の中でもない。あの『ここから商店街です』みたいな場所だけ、妙に覚えてる」
Kenja「場所の印象が強かっただけじゃないか」
Gusha「違う。中は忘れてるんだ。八百屋が右だったか左だったかも怪しい。でも入口のアーチだけ覚えてる」
Kenja「それは目印だからだろ」
Gusha「人生、目印ばっかり覚えてない?」
Kenja「急に規模を広げるな」
Gusha「ほら、小学校も教室より校門の方が思い出せるし」
Kenja「それは分かるかもしれない」
Gusha「温泉街も旅館より橋のところ覚えてる」
Kenja「確かに写真を撮るのもそういう場所だな」
Gusha「境目なんだよ」
Kenja「境目?」
Gusha「家から外になる瞬間。旅行が始まる瞬間。祭りに入る瞬間。なんか全部そこにある」
Kenja「中身じゃなくて入口の話か」
Gusha「人間、案外『これから何かあるぞ』に弱い」
Kenja「期待の記憶は残りやすいのかもしれないな」

Gusha「昔の商店街ってさ、入口に顔があったよな」
Kenja「顔?」
Gusha「アーチとか看板とか変な時計とか」
Kenja「変な時計は分からないが、確かに象徴的なものは多かった」
Gusha「中の店は入れ替わるのに、入口だけずっと立ってる」
Kenja「街の看板みたいな役割だからな」
Gusha「だから不思議なんだ。商店街そのものより、入口の方が長生きする」
Kenja「言われてみると面白いな」
Gusha「人もそうかもしれない」
Kenja「また広げ始めた」
Gusha「友達との思い出も、一緒に遊んだ内容より『あの日、駅前で待ち合わせしたな』の方が先に出てくる」
Kenja「記憶を開ける取っ手みたいなものか」
Gusha「おお、それだ」
Kenja「入口が記憶の取っ手になる」
Gusha「だから商店街の入口を見ると、中の店より先に昔の空気が出てくる」
Kenja「その表現は少し分かる」
Gusha「たぶん人は場所を覚えてるんじゃなくて、切り替わる瞬間を覚えてるんだよ」
Kenja「全部がそうとは言わないが、確かに境目には特別な役割があるな」
Gusha「最近、大型ショッピングモールばっかりだろ?」
Kenja「多いな」
Gusha「便利なんだけど、どこから始まったのか分からない」
Kenja「入口が広すぎるからか」
Gusha「気づいたら中にいる」
Kenja「それはある」
Gusha「商店街は『ここから別の世界です』って教えてくれる」
Kenja「境界線を見せてくれるわけだ」
Gusha「だから覚えてるんだよ」
Kenja「なるほどな。商店街を懐かしんでいたつもりが、実は境目を懐かしんでいたのかもしれない」
Gusha「ほらな」
Kenja「でもそう考えると、今も何かの入口に立ってる可能性はあるな」
Gusha「怖いこと言うな」
Kenja「十年後に思い出すのは、今日そのものじゃなくて、どこかの境目かもしれない」
Gusha「じゃあ今度から商店街の入口見たら挨拶しとくか」
Kenja「誰にだ」
Gusha「未来の記憶に」
Kenja「少しだけ意味が分かるのが悔しいな」