歯ブラシは「引退」のタイミングが早すぎる
Gusha「歯ブラシって、引退するの早すぎない?」
Kenja「何の話だよ。歯ブラシは毛先が開いたら交換するものだろ」
Gusha「でもさ、昨日まで働いてたやつが、朝いきなり『今日からもうダメです』って言われるんだぞ。厳しい会社だろ」
Kenja「会社じゃない。お前が使ってる道具だ」
Gusha「でも毎朝ちゃんと口の中まで行ってくれてるぞ。雨の日も風の日も」
Kenja「歯ブラシに雨の日は関係ないだろ」
Gusha「関係あるよ。こっちが寝坊した日なんか、三分の仕事を二分でやってくれる」
Kenja「それはお前が急いでるだけだ」
Gusha「じゃあ交換時期って、誰が決めてんの?」
Kenja「一般的には、毛先が開いたり、ブラシ部分が傷んだりしたら交換する。目安として一か月程度と言われることもある」
Gusha「一か月って短くない?」
Kenja「毎日使うものだからな」
Gusha「じゃあ一か月働いた歯ブラシはどうなる?」
Kenja「新しいものに替える」
Gusha「次の職場は?」
Kenja「ない」
Gusha「再就職支援は?」
Kenja「ない」
Gusha「厳しいな、歯ブラシ業界」
Kenja「だから業界じゃないって」

Gusha「でも売り場に来ると、もっと分からなくなるんだよな」
Kenja「何が?」
Gusha「歯ブラシって、みんな自分が一番仕事できる顔してる」
Kenja「パッケージだからな」
Gusha「『極細毛』『超コンパクト』『奥まで届く』って。全員、面接でめちゃくちゃ自己PRしてくる」
Kenja「性能の違いを説明してるだけだ」
Gusha「しかも『かため』『ふつう』『やわらかめ』って、性格診断みたいじゃん」
Kenja「そこは用途や好みの話だ」
Gusha「俺は『ふつう』を選びたい」
Kenja「なんで?」
Gusha「歯ブラシにまで尖ってほしくない」
Kenja「お前、道具に人格を求めすぎだろ」
Gusha「でも新しい歯ブラシに替えた翌朝って、ちょっと気まずいんだよ」
Kenja「なんでだよ」
Gusha「昨日までのやつを捨てた翌日に、何事もなかったみたいに新しいやつで磨くから」
Kenja「いや、何事もないだろ」
Gusha「『昨日までありがとう』くらい言うべきじゃない?」
Kenja「歯ブラシに言ってどうする」
Gusha「言わないから、急に物を捨てるのに慣れていくんだよ」
Kenja「話が大きくなってきたな」
Gusha「しかも古い歯ブラシって、掃除に再利用できるだろ」
Kenja「できるな」
Gusha「だから『引退』じゃなくて『異動』なんだよ」
Kenja「そこはちょっと分かる」
Gusha「洗面所から風呂場へ」
Kenja「用途が変わってるだけだ」
Gusha「風呂場からベランダへ」
Kenja「何を掃除するんだよ」
Gusha「ベランダから……」
Kenja「もういい」
Gusha「最終的には靴箱の奥で、たまに思い出される」
Kenja「それは異動じゃなくて左遷だろ」
Gusha「でもさ、交換のタイミングって、意外と自分では分かってないんだよな」
Kenja「まあ、毎日見てるから変化に気づきにくいのはあるな」
Gusha「新品のときは毛先が全部まっすぐなのに、気づいたら一部だけ外向いてる」
Kenja「使っていればそうなる」
Gusha「なんか、寝癖みたいだよな」
Kenja「歯ブラシに寝癖はない」
Gusha「俺の歯ブラシ、右側だけすごい」
Kenja「磨き方に偏りがあるんじゃないか?」
Gusha「……じゃあ歯ブラシが俺の生活習慣を記録してるってこと?」
Kenja「そういう見方はできるかもしれないな」
Gusha「怖いな。毎朝、無言で俺のクセを告発してくる」
Kenja「歯ブラシに責任転嫁するな」
Gusha「でも、新しいのに替えると急に気づくんだよ。『あ、前のやつ結構くたびれてたな』って」
Kenja「それはあるな」
Gusha「じゃあ、道具って壊れるまで使うものじゃなくて、ちゃんと働けなくなる前に替えるものなのか」
Kenja「まあ、歯ブラシについてはそう考えたほうがいいだろうな」
Gusha「……じゃあ俺も、まだ働けると思ってるだけで、実は毛先が開いてる可能性ある?」
Kenja「人間に歯ブラシの基準を当てはめるな」
Gusha「明日の朝、鏡見てみるわ」
Kenja「何を見るんだよ」
Gusha「毛先」
Kenja「そこじゃないだろ」
Gusha「……じゃあ、歯ブラシだけ見とく」
Kenja「そこは見とけ」
Gusha「新品、一本買っとくか」
Kenja「今のはちゃんとした判断だな」
Gusha「で、古いやつには最後に言う」
Kenja「何を?」
Gusha「『お前、まだいけるけどな』って」
Kenja「それが一番替えにくくなるやつだな」