靴べらは、靴より人間を甘やかしている
Gusha「靴べらって、靴を履くための棒じゃなくて、靴に謝るための棒だろ」
Kenja「何に謝るんだよ。靴べらは靴を傷めずに履くための道具だろ」
Gusha「『今日も足を入れますね。無理はさせません』って」
Kenja「そんな儀式じゃない。かかとを潰さないために使うんだよ」
Gusha「でもさ、靴べら使うと、靴に入るときだけ急に丁寧な人間になるじゃん」
Kenja「それは別に悪いことじゃないだろ」
Gusha「普段はドアを肘で開けて、冷蔵庫も足で閉める俺が、靴の前だけ急に『失礼します』になる」
Kenja「お前の普段の生活を基準にするな」
Gusha「靴べらって、そう考えるとすごいぞ。人間の雑さを一瞬だけ止める」
Kenja「もっと普通に『靴を履きやすくする』でいいだろ」
Gusha「いや、もっと怖いことしてる。俺たちのかかとを甘やかしてる」
Kenja「かかとを?」
Gusha「昔の人は靴べらなんかなくても靴を履いてたんだろ」
Kenja「昔ってどのくらいだよ」
Gusha「江戸時代とか」
Kenja「そもそも江戸時代の庶民が今みたいな革靴を履いてたわけじゃないだろ」
Gusha「じゃあ靴べらは、革靴が生まれてからの人類の甘えか」
Kenja「歴史を全部『甘え』でまとめるな」
Gusha「でも靴屋で見ると、靴べらって妙に立派なんだよ。長いやつあるだろ」
Kenja「あるな」
Gusha「あれ、もう靴を履く道具じゃない。人間がかがむことを拒否する棒だよ」
Kenja「長い靴べらは、腰を曲げなくても履けるようにしてるだけ」
Gusha「つまり『かがむの面倒』を正式に認めた道具」
Kenja「まあ……そう言われると、そうだけど」
Gusha「ほら、Kenjaも今ちょっと認めた」
Kenja「認めてない。利便性の話をしてる」
Gusha「便利って、だいたい最初はそう言うんだよ。『必要だから』って」
Kenja「何の陰謀だよ」
Gusha「そのうち靴べらが進化して、玄関まで歩いてきてくれる」
Kenja「それはもう靴べらじゃない」
Gusha「靴を履かせてくれる」
Kenja「介護用品だな」
Gusha「さらに進化して、外出するかどうかも判断してくれる」
Kenja「それはお前の意思決定まで奪ってる」
Gusha「『今日は雨です。家にいましょう』」
Kenja「靴べらに言われたくないな」
Gusha「『あなた、昨日も出かけてません』」
Kenja「急に生活指導まで始めるな」

Kenja「でも実際、靴べらって使うと結構ちゃんと違うぞ。かかとを潰さずに済むし、靴も長持ちしやすい」
Gusha「靴のために使ってるのか、靴べらのために靴を大事にしてるのか分からなくなるな」
Kenja「そこは靴のためだろ」
Gusha「じゃあ靴べらがなかったら?」
Kenja「手で履く」
Gusha「ほら、急に雑」
Kenja「お前が言ったんだろ」
Gusha「靴べらがあることで、人間は丁寧になってるんだよ」
Kenja「まあ、道具が行動を変えることはあるかもしれないな」
Gusha「歯ブラシもそうだろ」
Kenja「それは全然違う」
Gusha「歯ブラシがなかったら、歯も指でいくじゃん」
Kenja「嫌な想像を広げるな」
Gusha「箸もそうだ。箸があるから、豆一粒にあんなに真剣になれる」
Kenja「それはちょっと分かる」
Gusha「道具って、できなかったことをできるようにするだけじゃないんだよ」
Kenja「ほう」
Gusha「人間に『ここまでは丁寧にやろう』って線を引いてくる」
Kenja「靴べら一本で、ずいぶん話を大きくしたな」
Gusha「だって俺、靴べら使うときだけ靴のかかとに気を遣うもん」
Kenja「普段からもう少し物を大事にしろ」
Gusha「それは無理」
Kenja「即答するな」
Gusha「でも明日から靴べらは使う」
Kenja「そこは使うんだな」
Gusha「……靴に謝らないといけないから」
Kenja「最後までその設定でいくのか」
Gusha「『今日も履かせていただきます』」
Kenja「そこまで言ったら、もう靴のほうが気まずいだろ」