納豆のたれ、最後の一滴まで出すべきか
Gusha「納豆のたれって、最後の一滴まで出したら負けだと思う」 Kenja「何に負けるんだよ」 Gusha「…
Gusha「納豆のたれって、最後の一滴まで出したら負けだと思う」 Kenja「何に負けるんだよ」 Gusha「…
時計を見るたびに、残り時間が増えるわけでもないのに、なぜか気持ちだけが追い立てられる。たった1分で「まだ大丈夫」と「もう無理」が入れ替わる、その不思議な境目。いつの間にか時間を確認する道具に、生活まで判定されている気がしてくる。
荷物を預けるためのコインロッカーなのに、なぜか中身を入れた瞬間から、その荷物の存在そのものを忘れたくなる。そんな不思議な距離感に気づくと、ただの四角い箱だったはずのコインロッカーが、少し違って見えてくる。
毎日結んでいるのに、なぜか片方だけほどける靴ひも。結び方なのか、歩き方なのか、それとも靴ひも同士で何か話し合っているのか。
冷蔵庫の前まで来たのに、何を取りに来たのか思い出せない。数秒の空白。「冷蔵庫の記憶防犯システム」。忘れることは失敗なのか、それとも生活に必要な仕組みなのか。
自動ドアは人を見て開いているのか、それとも人を試しているのか。どうでもいいけど少し気になる。
赤信号で立ち止まる数十秒。短いようで長いその時間に、人は何をしているのか。スマホを見る人、空を眺める人、せっかちな人。
「閉」ボタンは本当に効いているのか。それとも押した人が安心したいだけなのか。エレベーターの数秒をめぐる。
車のドア、冷蔵庫、引き出し、玄関。私たちは毎日いろんな「閉まる音」を聞いている。同じ音なのに、なぜか安心する音と、不安になる音がある。「ドアの閉まる音には性格がある」。
セルフレジでも有人レジでも、最後にもらうレシート。あの紙には「ありがとうございました」と書いてある。でも、あれは誰が言っているんだろう。レシートの立場を真剣に考え始めた。